東京天草育英会創設の父「田付貞明氏」について
                                              

田付(旧姓:吉村)貞明氏は、明治時代に、天草郡苓北町で生まれ、神戸で勉強され、大正時代に上京。研究所や商社で勤務した後、昭和に入り、次々と起業された事業家でした。
経済的には裕福といえない家の生まれでしたが、尋常小学校を卒業後、富岡小学校で代用教員として勤務中に貯金し、兵庫県立工業高校の電気科に進学されたそうです。
起業した企業には、航空機関連、アルミやクラッド関連等、当時の新産業でベンチャー型の会社もあります。
一方、その間、天草の方々と交流や協力の下、漁民道場(その後の天草水産高校)、興亜寮(図書館、本渡)、養正寮(学生寮、東京)等を寄贈され、亦、天草五橋の認可でも、東京で大きな御支援をしていただきました。
養正寮の寄贈から、東京天草育英会は生まれました。田付貞明氏がいなければ、東京天草育英会は誕生していないといっても過言ではないでしょう。

  <ご子息の田付明氏のお話>
父は事業家だけに、浮沈もあり、例えば私が共に暮らした28年間だけでも、5回転居、家は大きくなったり小さくなったりで、周囲の方々や母も戸惑うことがあったと思いますが、生涯天草を忘れませんでした。寄贈経緯からいっても、自分の生立ちを踏まえ、若者への支援が重要であることを十分認識していました。本ホームページの理事長挨拶に養正寮が東京天草育英会に繋がり、その後、休眠状態からの再開や一般財団法人への認可取得等の記載がありますが、設立の精神を忘れずに、取り組む関係各位のご活躍に、当時コラボを組んだ方々と目を細めて喜んでいると思います。

趣味はゴルフで晩年は止めていたものの川崎国際カントリー倶楽部設立当時のメンバーでしたし、特に霞が関カンツリーで開催されたコンペで優勝し通産大臣杯を獲得した時の嬉しそうな写真も残っています。

<田付貞明氏写真ライブラリー>

 

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