<ご子息の田付明氏のお話> 父は事業家だけに、浮沈もあり、例えば私が共に暮らした28年間だけでも、5回転居、家は大きくなったり小さくなったりで、周囲の方々や母も戸惑うことがあったと思いますが、生涯天草を忘れませんでした。寄贈経緯からいっても、自分の生立ちを踏まえ、若者への支援が重要であることを十分認識していました。本ホームページの理事長挨拶に養正寮が東京天草育英会に繋がり、その後、休眠状態からの再開や一般財団法人への認可取得等の記載がありますが、設立の精神を忘れずに、取り組む関係各位のご活躍に、当時コラボを組んだ方々と目を細めて喜んでいると思います。 ![]() 趣味はゴルフで晩年は止めていたものの川崎国際カントリー倶楽部設立当時のメンバーでしたし、特に霞が関カンツリーで開催されたコンペで優勝し通産大臣杯を獲得した時の嬉しそうな写真も残っています。 |
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